【全日本2019特集】大学でディベートを続けることの意味

 前回までの記事では、大学からディベートを始めた溝口さん・高校からディベートを始めた畑野さんそれぞれに「大会に出場してみよう」というテーマでいただいた寄稿を紹介させていただきました。
 今回は、小林茜さんに「大学ディベート独自の面白さ」というテーマで寄稿していただきました!大学以降のディベートで小林さんが感じたことについて書いてくださっています。ぜひご覧になってみてください!


ディベートはとても面白い世界です。
本稿では、大学でディベートを続けることの魅力をいくつかご紹介させていただきます。

①“自分のディベート”を作る
 中高のディベート(「ディベート甲子園」など、ここでは、中高生を対象とした大会およびこれらに関連するコミュニティをいいます)では、メリット・デメリット比較方式の採用など、ルール上の工夫により、思考を整理するための方法(ものごとの良い面だけを見て考えないこと、政策導入前後の変化に目を向けて分析することなど)を効果的に身に着けることができますが、その反面、ジャッジの説得方法は限定されています。
 一方、大学以降のディベート(「全日本大学ディベート選手権大会」、「JDA秋季/春季ディベート大会」など、ここでは、大学生以上の参加者を中心とした大会およびこれらに関連するコミュニティをいいます)では、中高生を対象としたディベート大会と比較してルールがシンプルで、自由度の高い議論の展開が可能となります。
 具体的には、 “論題を肯定/否定するあらゆる方法”(例えば、トピカリティやクリティークなど)によるジャッジの説得が可能です。
 中高のディベートで採用されることの多いメリット・デメリット比較方式は、ディベートの世界のなかの1つの方式にすぎません。誰かから与えられた世界から出て、“自分のディベート”を構築することこそが、大学以降のディベートの醍醐味です。“自分のディベート”を作り上げるのは簡単なことではないでしょうが、そのために“もがく”時間には大きな意味があると思います。
 どのような形であれ、人生においては、自分で決断し、周りに考えを説明して、ものごとを先に進めていかなくてはなりません。いかにロジックを組み立ててジャッジを説得するか――数か月もそれを真剣に考え抜くことは、きっと役に立ちます。

②自由に議論できる場所
 大学以降もディベートを続けることには、自由な意見交換ができる場所を持つという意義もあります。
 例えば、試合を通じ、新しい考え方でジャッジを説得しようと試みたり、逆に自分は全然納得できない議論を提出されて試合で困惑したりすることもあるでしょう。
 しかし、ディベートコミュニティが素晴らしいのはまさにこの点です。
 ディベートコミュニティでは「異論」が許されるのです。
 世の中では、異論を提出すること自体が疎まれたり、立場や年齢等に応じて発言できる内容が限られたりする場合がありますが、ディベートコミュニティでは(少なくとも試合の中では)違います。大学以降のディベートには多様なバックグラウンドの人が参加しており、自由に意見交換ができる場所があります。

 中高のディベートをしている人は、この文化についてある程度認識があるかもしれませんが、大学以降になると、知識や社会経験がより深まるため、引き続きこのような場所に身を置くことには特有の意義があると思います。
 社会に生きる人々の価値観やバックグラウンドは多様です。そのような社会に出ていくにあたって、自分とは違う立場の人の声に耳を傾け、自分の考えはその人達の考えとどこが異なっているのか、その違いは何からくるのか、どうすれば互いが納得できる結論を導けるのかを共に議論し、考えることのできる環境は極めて貴重であり、社会を豊かにするのではないかと私は思っています。

 もしかすると、中高のディベートで飽きてしまった方や、そうでないとしても、大学に入りディベート以外のことに興味を持っている方がいるかもしれません。
 ディベート以外のことに挑戦することにも意味があると思います。中高のディベートの外側に大学以降のディベートという広い世界が広がっているように、ディベートの外側にも更なる広い世界が広がっているからです。
 ディベートだけにとらわれることなく、好きなことに挑戦していただきつつ、もし、改めてディベートをしてみたいと思えば、いつでも戻ってきていただけると嬉しいです。そして、自分が感じたこと、考えていることを議論という形にしてください。
 ぜひ、みんなで自由に議論しましょう!


小林さん、ご寄稿ありがとうございました!大学ディベートには、中高でのディベートとは違った面白さがあります。大会への参加を迷われている方、是非1度参加してみてください!次回の記事も是非ご覧ください!