矢野善郎(理事・中央大学准教授)

「ディベート」というカタカナ言葉は,今日では日本の辞書にも載るようになってきました。しかし,それが何をさしているのかについて は,共通した考え方がされているわけではありません。それが「話し合い」や「議論」の一種であることは広く認識されています。しかしそれがどのような議論 であるのかは,混乱していると言ってもいいほどに,人によってかなりの差のある理解がされてきました。

CoDAの 一つの使命は,まさにこうした混乱をなくし,そもそも「ディベート」が何を指していると考えるべきなのかについて,独断的にではなく客観的なやり方で議論 して検証し,ディベートについての理解を広く深めていくことにあります。

とはいえ,とりあえずの出発点としてCoDAでは次のように「ディベート」を位置づけております。
まず押さえておくべきなのは,「ディベート」には,広い意味「公的な議論・討論」と,狭い意味「広義のディベートを,練習・教育するための試合形式の討 論」の二つがあるということです。

第一の広い意味の「ディベート」ですが,これは「ディベート」という外来語の元となった英語の”debate”の本来の原義を参照し て定義していくのが,色々な意味で最も有効だと考えます。例えば代表的な英英辞典では次のような定義が見られます

DEBATE: a discussion, as of public question in an assembly, involving opposing viewpoints. – Random House Dictionary, 2nd ed.

整理すると,広い意味で用いられる「ディベート」というのは,次の三つの要素を持つような議論のことだと考えられます。

  1. 公に関わる(公共の・私的でない)問題について,
  2. 対立する複数の立場の意見をまじえつつ,
  3. (例えば開かれた集会やなどで)中立の第三者に対しても説得的であることを目的として行われる議論

議論・討論なら何でも「ディベート」と呼んでしまう人が時々見かけられますが,このように整理するならば,それはあまり適切な見方と は言えないということになります。「ディベート」の代表例としては,政策論争(英米の議会での論戦,米国の大統領選前のテレビ討論 Presidential Debateなど),裁判・司法論争,科学論争などです。それに対し,「交渉」negotiationや「取引」bargain,「口げんか」 quarrelは,議論や話し合いの一種ではあっても,どこかしら「ディベート」的でない議論と言えます。

なお,日本では「ディベート」というと,「肯定・否定に分かれて行う討論の試合」のことであると考える人も多いでしょうし,辞書など にもそうした説明などが見受けられます。こうした使い方は間違いではあるませんが,この意味での「ディベート」は狭い意味での使い方なのです。アメリカな どでは,より正確には,こうした試合形式の討論は「教育ディベート」(academic debate)と呼ばれています。これは広い意味でのディベートを練習するために,学校教育などに欧米で広く導入されている議論の練習法なのです。

そしてCoDAで は,広い意味でのディベートを,それがあるべき場面でよりよい形で実現できるような社会することをめざし,狭い意味での教育ディベートを大学・高校・社会 人教育に普及するように様々な取り組みを行っているのです。